「見たかったテレビ番組を見損なった」
この表現ムズムズしない?
「見たかったテレビ番組を見損なった」
実際に誤用なのか
コトバンクやgoo辞書には「見逃す」「見そびれる」のように、見る機会を逃すという意味も書いてある。
誤用ではなかった。
どれでも使えるのか
今回は「見たかったテレビ番組を見れなかった」旨を伝えるのに
どの表現が違和感なく使えるのか主観で考えてみる。
一般的に正しい感じがする
- 「見たかったテレビ番組を見逃した」
- 「見たかったテレビ番組を見そびれた」
違和感はあるけど正しい
- 「見たかったテレビ番組を見損なった」
多分誤用
- 「見たかったテレビ番組を見過ごした」
「見過ごす」は気づかずに見落とす、もしくは、見ていながらスルーする
ニュアンスのときにしか使えないっぽい。
「見損なう」は誰かに失望したとき以外にも使っていいらしい。
「電車を乗り過ごす」
じゃあこれはどう説明がつくんだろう。
恥ずかしい話、「乗り過ごす」という言葉を知ったとき、
「目的の電車に乗るのを失敗する」
という意味だと思っていた。
↓同じ勘違いをしていた人の記事
今日まで「乗り過ごす」の意味を勘違いしてしまっていた – はてな匿名ダイアリー
そんで、「目的の駅で降りるのをミスって先の駅まで行っちゃう」ことを
「降り過ごす」だと思っていた。
○○過ごす について考えてみる
- 見過ごす
- 寝過ごす
他になくね?全然思いつかないんだけど。
見過ごす・・・見たけどスルーすること。
これは「見る」+「過ぎる(もしくは過ごす?)」でいいのかな
寝過ごす・・・予定の時間に起きれないこと。
これは「寝る」+「過ぎる(超過)」かな。
「寝過ぎた」と同じか。
共通してるのは動作の部分である「見る」と「寝る」をして、
そのまま目的を達成できないニュアンスであることかな。
これだと説明がついて
「乗り過ごす」は「乗る」をしたまま目的を達成できないこと、
つまり乗ったままで目的地を通り越しちゃうことになる。正解。
じゃあなんで誤用しちゃうのか
「そびれる」「損なう」「過ごす」のどれも
何かをミスったときに使う語であること
でも実際には、
- その動作をしなかった(できなかった)からミスった
- そびれる
- 損なう
- 逃がす
- その動作をしたからミスった
- 過ごす
に分かれる。
自分自身「乗り過ごす」を「降り過ごす」だと勘違いしてたのは
ここの違いが理解できてなかったからっぽい。
それから月並みな推察をするなら、
他人の誤用を見聞きしてそのまま自分も使っているパターンも大いにあると思う。
フランス人の日本語学習者でも誤用例を観測するほど蔓延している?
おわりに
元も子もないことを言えば、
- 「見たかったテレビ番組を見逃した」
- 「見たかったテレビ番組を見そびれた」
- 「見たかったテレビ番組を見損なった」
- 「見たかったテレビ番組を見過ごした」
日常会話でどれを使われても、見たかったテレビ番組を見れなかったことは伝わるんだよね。
この記事は個人的な考察で、どの段落も推察の域を出ないよ。
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